くるくるくせ毛を整えて

写真を担当させて頂いた『天使突抜367』(通崎睦美著/淡交社刊)。早速たくさんご予約頂いての好発進。感謝感激です。いよいよ書店にも並ぶのを前に、ここはひとつわたしもピシっとせねばと思いたち、美容院と服屋と免許の更新に行ってきた。

左の写真は大阪・立売堀のhair salon「gibo」(ジボ)さん。フランスの少年をイメージして名付けられたサロンは古いビルの6階。レトロな什器とヨーロッパで買い付けされてきた雑貨や本が並ぶ。白い壁に白い床。表に出ている部分はほとんどオーナー桑原さんのセルフリノベーション。ついつい見てしまう壁や床で、ついつい話が盛り上がってしまうのだ。そしてgiboさんでくるくるくせ毛を整えてもらうと、なぜだか不思議といつも、自分の好みや価値観までをも再確認することができる。不思議な鏡と不思議な窓際の読書カウンター。

そもそも美容院嫌いのわたしに、giboさんを紹介してくださったのは大阪・靭本町のセレクトショップ「volonte」(ボロンテ)の野口さん。「わたし、服屋と美容院が苦手なんです。」と言ってしまえる素敵な洋服屋さん。この日もgiboさんに行った帰りにvolonteさんへ。お店の窓からは靭公園の木々を眺めつつ、ずっと考えつづけていたTSUTSUMUのリュックサックをオーダーした。斜めがけ鞄も良いけれど、今は息子を抱えてリュックサックがぴったりくる。しっかりした素材でしっかりしたお値段で、しっかり5月まで到着を待つ事になった。

そして、免許の更新。年末の入院で手続きができず、しばらく乗れていなかった車。車はプジョーの205CTI。ご存知頂いている方はびっくりの20年もの。今も現役でがんばっている。思い返せば十数年前、フランスはパリに旅に出て惚れてしまったプジョーを運良く京都で手に入れた。ガソリンは当然ハイオク。購入費を上回る修理費もなんのその。京都では特に大活躍し、今も撮影現場の道中をひっそり支えてくれている。で、その大事な更新。髪も整い、アトリエで小倉優司くんに証明写真も撮ってもらった。手続きには入院証明書と住民票とを揃えて、あの不便な門真試験場まで行ってきた。特例扱いで幸い5年ゴールド。残念だったのは証明写真は強制的に門真試験場のじーさんに1発撮られておしまいだったこと。せっかくの小倉写真は申請書に貼られてしまった。これから5年、じーさんの写真で耐えねばならない。

最後はちょっとピシっとしなかったけれど、大丈夫。
少しずつ春を感じて、少しずつ体力の回復も感じはじめている。

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撮影担当本ついに完成『天使突抜 367 』

京のマリンバ奏者でアンティーク着物コレクターとしても有名な通崎睦美(つうざきむつみ)さん。エッセイ『天使突抜一丁目』の著者としても知られる通崎さんの4冊目の著書がついに完成!「天使突抜」(てんしつきぬけ)とは、本当にある京都の町名。今回はなんと家を買われてできあがるまでのリノベーション奮闘記。解体から竣工まで京の街のアーティスト達とともに取り組まれた、世にも斬新なプロジェクト。完成したものは家というか、もはや美術品。わたしはその1年を要所要所で、ただただじっとファインダーから覗かせて頂いた。

はじまりは昨年3月。「家を買ったので、今度、撮ってもらえますか。とにかくボロボロなので。」という通崎さんからのお電話だった。通崎さんとはご縁あって5年ほど前から、プロフィールのお写真やコンサートの舞台写真、はたまたご自身の浴衣ブランド「メテユンデ」のイメージ写真などあらゆる通崎ワールドのお写真を担当させて頂いてきた。ハイセンスな通崎さんにはいつも全身しびれているのだけれども、今回まさか「家」とは。驚きとともに、何のこっちゃよくわからないまま、カメラを担いで出かけたのだった。

着いたら、本当にボロボロ長屋の一軒家。階段なんて抜け落ちそうで、裏鬼門のあたりなんて一発何か出そうなくらいヤバかった。それを画家でこの本のデザイナーでもある谷本天志(たにもとたかし)さん達がリノベーションするとおっしゃる。もうますます何のこっちゃわからなくなった。この時はまだ、誰もこの家が本になるなんて想像もしていなかったけれど、とにかく何かが起こると確信して、撮影はスタートした。

そういえば、その当時の息子はまだ生後8ケ月(写真中/当時の通崎さんと息子)。保育園入園前だったため、カメラと息子を担いでのいでたちだった。ベビーシッターには通崎さんの大切な教え子さんのsayuriちゃんが駆けつけてくださったり、通崎さんのお父様が町内中を抱っこしてあやしてくださったりしていた。通崎さんのお座敷の座布団の上でスヤスヤと昼寝もさせて頂いていた。

そうして、春を越え、夏が来た。ボロボロがすっかり解体され、スカスカになっていた。汗まみれのアーティスト達。そのエネルギー。その在り方。そしてじょじょに形作られていく土台や壁、階段に触れるうちに何のこっちゃわかってきた。同時にその頃、なんとなんとこの本の出版化が決定したのだった。

そうして、秋が来て、冬が来た。先にも書いたが、家全体がもはや大きな大きな美術品へと移り変わっていった。ここは住居ではなく膨大なアンティーク着物のコレクション倉庫として使用されることも、2階に美しく並ぶ箪笥の風景で立ち現れてきていた。そして真冬の12月ついに竣工。わたしは入院生活を経て、完成写真と表紙の撮影を終え、つい先日は印刷所まで著者とデザイナーとカメラマンと編集者という勢揃いでの最終色校正に赴き(写真下)、約1年におよぶ奮闘記に終止符が打たれたのだった。

本のタイトルは『天使突抜367』。京の老舗出版社、淡交社(たんこうしゃ)より刊行。2011年2月末には書店に並ぶ予定。現在予約も受付中!なんと予約特典のポストカードにはわたしの撮影写真も。一体全体、京の街の一角で一年間も何が起こっていたのか。本当に面白いリノベーション奮闘記の完成です。

通崎好み製作所blogより(わたしも息子もちょこちょこ登場)
『天使突抜367』予約フォーム(予約締切:2月25日(金)中までに入金確認のできた方)

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丸の内〜南青山〜浅草

2日間、東京に行っていた。
行きも帰りも新幹線はグリーン車(ポイント利用。最高!)。撮影はまだまだ2-3時間が限界で、室内メイン。機材は宅急便で発送する。あらゆる方々にご理解を頂いて、今のわたしにできる最大限を駆使してご一緒させて頂いている。本当にありがたいありがたい毎日なのだ。

●丸の内
撮影仕事自体は2日目の浅草にて。念には念をと一日前に東京入りする事にした。じっくり休暇を取っていたこともあったのか、体調もよく、リハビリもかねて、その1日目はまず丸の内で。以前写真モデルにもなってくれた友人親子とランチすることができた。わたしの初めての「ママ友」でもあって、大阪からの引っ越しの際は号泣だった。待ち合わせは東京駅丸の内側地下改札。久々の再会に嬉しく大きく両手を振りながら小走りした。友人がキープしてくれていたのは新丸の内ビルディング7FMarunouchi Houseの「HENRY GOOD SEVEN」。オフィス街のためかそれほど混んでおらず、1歳8ケ月のhanaちゃんもソファでゴロリとしたり、外の広いウッドデッキを走ったりしていた。大阪のお友達親子の映像を見せたりした後は、丸の内オアゾの中の丸善へ。ここの児童書コーナーは平日のためかまたすっきり空いていて、hanaちゃんにはアンパンマンで遊んでもらいながら母たちはゆっくり話ができて快適だった。ほんの少しの時間でも、こうして会って、ちょっと一緒に育児ができて幸せ。
次の再会を約束してサヨウナラした。

●南青山
そして次に向かったのは、南青山のPRESS ROOM & Appointment Shop「EDIT.303」。メンズ&レディースブランド「two. / two dot」などを手がけるデザイナー上本純平さんとプレス保田愛さん、そしてその二人の娘でモデルのnicoちゃんとの打ち合わせに。左の写真はプレスルームの一角(写真上)。笑顔の絶えないいつもニコニコの3人。チームのアイドルnicoちゃんは1歳11ケ月。実はこのチーム、以前は同じマンションの6Fと8Fという仲だった。東京に拠点を移されることが決まった頃にお話するようになって、展示会にも伺うようになった。そして今度一緒にある空間作りをする可能性がでてきた。東京と大阪、距離もあるし私事の問題もあるけれど、お二人と話せば話すほどくっきりとイメージができてきたのだった。カタチにしてみたい。ありがとうのキモチをいっぱいこめてバイバイした。nicoちゃんはなぜか自転車の空気入れを出してきては押しながら見送ってくれた(写真下)。

●浅草
前々日の大雪の影響で、東京入り1日目で届くはずの機材の一つ「三脚」が届いておらず大阪と浅草の配送センターに電話電話電話。ホテルのスタッフにも手伝ってもらう騒動に。一番怖いのが行方不明になっていること。あるのかないのかだけでもはっきりしてくれと掛け合った。でもここは日本。さすが日本。あるのだ。遅れはしたがきっちり浅草に。けれども時刻は夜9時。本来なら次の日ということなのだけれど、そうはいかない。電話越しに「明日撮影なので絶対必要なんです。」と担当ドライバーに懇願したら、担当区域外ながら車飛ばしてホテルまで持ってきてくれた。神様仏様ドライバー様だった。
はじめての輸送トラブルも乗り越えて、快晴。場所は撮影担当7年目のエスペランサ靴学院さん。YUIMA NAKAZATOのデザイナー中里唯馬さんによる今学院で最も熱気のこもった授業の空間撮影。中里さんはアントワープ王立芸術アカデミーでファッション科マスターを卒業。一度目はそのベルギーでお会いした。ますます鋭いオーラを放っておられた。できることならその風景をずっと眺めていたかった。しかしこの授業、最大9時間におよぶとか。凝縮した一瞬をフィルムに焼き付けて、無事に終了した。

帰り道、東京駅まで同行してくださった学院長の田川さん。息子のお土産にトミカの車を見ていたら、「これいいんじゃないですか。」とその手にはコンクリートミキサー車。ちょっとパワーのついた2日間の、ちょっとナイスな幕切れだった。

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サンダーバードに揺られて

ただいま1歳7ケ月の息子と二人、京都の実家にて休暇中。夫は一人、自宅の模様替えを担当中。寝室を移動して、その部屋を本とレコードの空間にしたり、リビングで一年半使いつづけたベビーベッドを解体したり、ちょっとしたことだけれどなかなか踏ん切りのつかなかった事をやってみている。

踏ん切りのつかなかった事といえば、息子連れで大阪から京都に帰る電車もそのひとつ。今までは夫運転の車でゆっくり帰ってきていたが、今回は初めて電車で息子と二人で移動することになった。普通ならなんてことない距離なのかもしれないのだけれど、わたしにはもう宇宙に飛び立つかくらいの勢いなのだ。阪急なのかJRなのか、考えまくって、それで結局、サンダーバードで帰ってきたのだった。金沢行きのあの特急列車。大阪駅のみどりの窓口でしどろもどろ指定席を取って、かといって速いわけでもなく、新快速と同じ時間かけて。なんて素敵なんだろう。何も気にしなくていい、大満足の移動だった。

そのサンダーバードに乗りながら、窓の外に浮かんできたのは昨年11月27日土曜日の夕暮れのことから。

3人で中之島にフォトアトリエを構えて初めてのイベント「1st window」は、肋骨を折りながら、薬で熱を下げながら、それでもなぜか元気に開催することができた。FLAT-FIELDの豚汁「フラジール」も振る舞うことができた。築34年のエレベータもない古いビルヂングにたくさん集まってくれたお客さん。壁から窓へ、映っては消え映っては消えていくスライド写真。そして一緒にこの2年を歩んできた仲間2人の後ろ姿を眺めていたら、言葉にならないくらいほっとした。ほっとしてしまったのだ。

入院はその後、約半月続いた。

1ヶ月以上続いた不明熱の原因を見つけるための検査は1週間。一体全体何なんだろう。と日が経つにつれて不安に襲われてきた。点滴の副作用もきつかった。息子の抱っこさえもできなかった。布団に潜り込みながらメソメソしていたら、毎朝毎夕と回診に来てくれる担当医や親切な看護士の方、大好きな家族や友人たち、保育園のお母さんや先生からも励ましてもらった。

原因はそれから約2週間かけて確定した。
それは珍しい4つの感染症だった。

異常なくらいの免疫低下。普通にしていたら感染しないようなものまで。それらの感染症から重症肺炎を起こしていた。レントゲンに写りにくいものや、感染から発症まで数週間潜伏するものなど、やっかいだらけだった。

退院の日、家に帰ったわたしを見た息子はわたしのずぼんの裾をピっと引っ張って、一つ「かぁか」とささやいた。その瞬間、これからの生き方暮らし方はしっかり決まったのだった。

サンダーバードに揺られながら、この大きな変わり目と息子のその背中をまたもう一度ぎゅっとした。

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