毎日はサヨウナラ

「blog、見ていますよ。」というお言葉は、いま一番嬉しい言葉。時々、夫が仕事先で妻向けに頂いてくるそのお言葉を伝え受けては、夜な夜なニヤけたりもしている。身体の本体はがっちり内向きだけれど、中身はがっちりワールドワイドに広がっている今日この頃。おかげさまで肺活量検査では39歳(+7歳)に回復。

ここ10数年の走りっぱなし生活に、何か欠落していたことがあるならそれはおそらく「普通の生活」なんだと思う。食べること、寝ること、動くこと。そして安らぐこと。身体を過信しすぎていた10数年はどれもを時々置き去りにしてきていた。撮影現場ではその身をそぎ落としてしまうくらい出し切っていた。それがわたしのやり方だったし、そこで表現できたことには何一つ後悔もない。だけどそれとはサヨウナラする時が確実に来ている。ちょっと街に出てランチをしたり人としゃべるだけで息があがったり、夜には熱が出たりと体調は安定しない。ちょっとした疲れ、ちょっとしたウィルス、ちょっとした出来事が、ダイレクトに身体に反映されてきている。危険信号が灯り続けている。もうそろそろ受け入れなければ。

息子はその信号を灯しにも、この世に出てきてくれたのだろうか。
などと、ふとお風呂あがりに汽車に乗って遊ぶ姿を眺めながら思った。

days and goodbye〜毎日はサヨウナラ。はじまりのきっかけは、息子が身体から出てしまう時のあのサヨウナラする寂しさは何だったんだろう、ということからだった。いまもあのサヨウナラを探し続けている。あの日々、あの瞬間を、実はいまもずっと引きずっている。引きずりながらも、新しいコンニチワに出会い続けているのだろう。

うっすらと見え始めた、普通の生活。
どうやら少しずつ受け入れはじめている。

110422_121532.jpg

枯れ木のキモチ

細々と育てていた我が家のベランダの木。入院中にすっかりシワシワに枯らせてしまっていた。「入院中」というのは、昨年末に4つの感染症から重症肺炎を起こし約半月闘病していたわたしのこと。春だというのに、なんとも惨めで寂しい風景だった。だけどもあきらめず、干からびた土に4ケ月ほど水をやり続けていたら、昨日ついに枯れ枯れの隙間から芽を出してきたのだった。

どっからどう見ても、枯れ切っている木も、あきらめなければ生き返る事もあるのは小さな頃から知っていた。実家の玄関先に植えてあるキンモクセイを、3年くらいかけて生き返えらせた記憶がある。台風でぽっきり折れてから、元気がなくなり枯れてしまったキンモクセイも、今や一階の屋根くらいは越える大きさに育ち、秋には町内中にその甘い香りを解き放っている。

方や今のわたし。重症だった肺は、早々には完全復活してくれるものではないようだ。感染症から患ってしまった後遺症のようなものとも気長につきあっていくことになってから、時々、やっかいな「検査」というものに出向いている。先日行った肺活量を測定する検査では(これがもう涙が出るくらい苦しかった)、肺年齢45歳と診断された。プラス13歳である。もちろん要継続検査。がっくりだ。小・中・高と体育会系ライフを過ごし、マラソンでは常に学年10位以内には入っていたのに。NOたばこ、NO飲酒。そしてここ10数年はひとりでカメラも三脚も担いで走りまわっていたのにだ。なんてこった。なかなか早々、うまくはいかない。人間だもの。

そう、人間だもの。焦るのだ。だけど、そんなわたしに柔らかな水を注いでくれるのはやっぱり人間。家族、そして主治医に、仲間たち。励ましやアドバイスではなくて、身体の痛みや苦しみを聞いてくれる。じっと耳を傾けてくれる。ただそれだけで、ひとつ芽が出る感じ。

初めて知った枯れ木のキモチ、のようなもの。

100903_113410.jpg

桜の咲く頃

わたしは桜の季節は、「感じる」だけで十分。いわゆる”お花見”という公園などで繰り広げられる宴会スタイルは好みではない。どう見ても、美しくない。桜の木の下で濛々と立ちこめるバーベキューの煙やにおいは、残念しきり。それでも、あの桜たちはよく耐えてくれているなぁと、靭公園などでは毎年よく思ってしまう。この時期は子供も遊ばせにくいので、週末は淀川の河川敷で、電車の往来を眺めたり、少年野球の風景を眺めたりしていた。そこに時々飛んでくる桜の花びらくらいが本当にちょうどよかった。

桜の季節は、夫34歳の誕生日も。公園のブランコではお尻が入らなかったり、なぜか毎年誕生日にほっとして熱を出したり、2年越しにKORGという楽器メーカーの「micro SAMPLER」を手にいれニヤけていたりしていた(左の写真/マイク付きの鍵盤にいろんな機能がついて録音ができる)。一体何をサンプリングするんだろうか。2LDKの我が家の2のうちの一つはめったに登場しないLPレコードとターンテーブルだらけで、あれもこれからどうするんだろう。と思いつつも、2年も欲しいものならとプレゼントすることにしたのだった。その日、届けてくれた宅急便屋のお兄さん。「楽器見るとドキドキしますわぁ!僕はこの二つ前の機種持ってますねん!これはマイクの性能が良過ぎて、雑音拾ってしまいますからね!気をつけてくださいね!ひゃひゃひゃ!」と言い放って行かれた。

出会って10年。人と暮らすと時々変な事に遭遇する。

お花見のうるさいのは苦手だけれど、一緒に暮らす人々の趣味にまつわる音響は、そういえば昔からあまり気にならなかった。夫の前には妹がそうだったから。ジャニーズからテクノ、フレンチポップに環境音楽まで。姉妹部屋ではあらゆる音が右から左へ、通過していっていた。こちらが受験だろうが何だろうが。妹のカナダ留学時代(2000年頃)には突然、「ラジオでDJすることになったから、レコード送って!」と連絡があり、当時京都のレコードカルチャーを引っ張っていた一つ「ZESTレコード京都店」などに、右も左も分からず言われたものを買いに行ったりしていた。FPMにピチカートファイブなんてのもカナダでは当時貴重で気に入られていたようだ。ただただ趣味に寛容な母も一生懸命なので、例え空輸便が8万(!)になろうが、きっちり揃えて送っていたのが今や平野家の伝説となっている。

さて、あの頃のあのレコードも、あれからどうなっているのだろうか。
趣味というもの、桜の花のごとし、かな。

110411_153900.jpg

FLAT-FIELDの春休み

昨日は仕事先に到着するなり、編集者の青山ゆみこさんにトマトを1パック頂いた。「冷やして、塩だけで食べてみて!」と、その手には綺麗な神戸トマト。有り難く、そのまま背中の小さなカメラリュック(まだ身体が完全ではないので最小の機材)にそっと入れて、ポートレイトの撮影に入った。桜の木の下。時間も限られていて、リュックは背負ったままだった。まさかのトマト担いでの撮影。それも、バレエ界の超大物。画期的なひとときだった。

そんなわたし、32歳4ケ月。息子1歳9ケ月。3月最終週は保育園の春休みに合わせて(どうしてものお家は時間短縮型の特別保育というのがあるのだけれど)、わたしも一緒に「春休み」を取っていた。

ブルーのスモックを作ってもらった息子。ボーダーにドット柄のおしゃれな女の子runoちゃんと手をつなぎながら、すでに張り切っている春のはじまり。ミシン上手なおしゃれ母さんは元カメラアシスタントプロさん。アシスタントプロって陰ながらにほんとにすごい技術のいる職業なのだけれど、彼女はその細い身体で男子顔まけのキツいキツい現場を乗り越えてきている。一緒にお仕事したことはないし、カメラの話も写真の話もあまりしないけれど、そこはかとなく写真やモノ作りへの愛が流れていて、安心する。そんな彼女が暮らしの一部「みしんの子」で作ってくれている息子へのファッション雑貨はいつの間にか、わたし達の暮らしの一部にもなっている。この日は靭公園ロケ。バラ園の小川の水がストップしているため、思わぬ背景も出現していた。これも「春休み」してなかったら見つけられなかった風景かもしれない。

張り切りすぎたらダメと思いつつも、初日からそうはいかなかった。我が家に駆けつけてくれた生後7ケ月のお座りボーイsyunpeiちゃん親子に、誕生日一日違いのはじめての男の子友達ryouheiくん親子。園で一つ上のクラスのsouちゃん親子。近所の公園に行けば、園で同じクラスのyuukiくん親子や、misakiちゃん親子に遭遇。親子三昧の4日間。楽しくて楽しくて仕方がなかった。大好きな親子に会っている時だけ、何だろ、不思議とただ純粋に「息子の母さん」になれてる気がするんだろうな。これは産前にはイメージにもなかった風景。わたしの中では、これもまた、画期的なひとときだった。

みしんの子(靭公園ロケのこと他。数々の作品。独特のセンス。)
FLAT-FIELD.NET(TOPイメージ更新)

110329_112041.jpg

ベランダの花畑から

仕事場の階段を上がると、そこには小さなベランダがある。

そこがいつの日か「mogu garden」という名になって、オグラユウジくんが毎朝こつこつ草花を育てている。

「今日はたくさん開いたから、いくつか持って帰って。」と朝一番の嬉しそうな声。先週末はぐんと暖かくなったこともあって、そこには花たちがたくさん太陽の方を向いていた。この前まではつぼみだったのに。優しい気持ちで育てられた花たちは、とても美しい。

mogu camera(写真現像所 / ベランダも水〜土までopen)

110403_142633.jpg

Archives by Month