わたし、ひとり旅に出る/光

咳なし。熱なし。腰よし。体調よし。四条烏丸から東へ進む。いつの間にか横では父がハンドルを握り、後ろでは母がワクワクしている。ルーツを巡る旅に同行するという母と、行かねばならぬ場所まで送ってくれるという父。いいのか、これで。旅は道連れとはいうものの、あっという間に「ひとり」終了。そしてあっという間にその場所に到着した。

行き交うタクシー、バス、観光客。橋の上で立ち並ぶ山伏たち。お客待ちの人力車。電線のない空。整備された緑の茂み。京の美術発展の拠点となった左京区・岡崎。北に平安神宮、西に府立図書館と京都国立近代美術館、東に京都市立美術館、南にそれらを区切るようにそびえ立つ大きな鳥居。昭和の頃から、ほとんど変わらない、その風景。日本そして世界中のあらゆる場所からあらゆる歴史をかいくぐって集まってきた美術作品たちの、あらゆる「気」がどの方向を向いてもやってくる。何も見えないけれど、ゴッホが、フェルメールが、ルノワールが、生け垣に座っていたり、たばこを吸っていたり、突っ立ってたりする。確実に、”いらっしゃっている”。スピリチュアルにも宗教にも興味はないけれど、あえて言うならわたしにとっての最強パワースポットなのだ。

そもそも美術館なんて、薄暗いし変な匂いするし人多いし見えないし、つまらなかった。それでもと、幼いわたしを連れ出していたのは新聞記者として美術欄などを書いていたことのある祖母(母の母でわたしが学生の頃に他界。母の父は50代で他界。祖父もまた京の新聞世界に大奮闘しながら、趣味は絵画コレクション、引退後の夢は画廊だったそう)。忘れもしない、つまらないものから一変させてくれたのが、1992年京都国立近代美術館での展覧会『オーストラリア絵画の200年-自然・人間・芸術-』展だった。オーストラリアと言われても作家の名前さえいま誰一人言えないくらい、当時も大きく盛り上がっていたわけでもなく普通にスマートな展覧会。そこに展示されていたものは、200年前から現代に渡る自然と暮らしの風景絵画が中心だった。オーストラリアの強い光の中での馬と羊との生活風景。牧歌的風景とはこういうことなのか。それまで薄暗かった美術館を初めて明るく感じた。そして、光というものを表現できることを知った最初の瞬間だった。

もちろん、わたし、画家になると思っていた。

家でも外でも美術や芸術に触れまくっていたがゆえに、幼稚園も小学校も中学校も絵が得意で、とりわけ空想画は半端なかった。小学生の頃、B5サイズの自由帳にBBビルという架空の100階建ビルに毎日1階ずつその人間模様を描いていくと、いつの間にか毎日人が集まってくる大人気エンターテイメントに発展した。運動会、発表会、歯磨き週間、なんでもかんでもポスターは手描きで担当。100枚は描いたと思う。公募展では常に特選入り。だんごむしの地下の世界を描けば、なぜか視察に来ていたシンガポール大使館の人に献上されてしまった(返してほしい)。幼稚園時代から「芸大に行く!」が夢だった尖り(とんがり)ガール。

しかし、挫折はあっさり高校生でやってきたのだった。

どうしても描けなかったのだ。デッサンが。「それをそのまま描く」なんてどうしてもできなかった。一滴の興味もなかった。美術室でひとり、呆然とした。なぜなら、日本の美大・芸大では大概が(いまはよく分からないが)入試にデッサンが必要だったから。在籍していた普通科文系2類は進学コースで、入ってすぐから周りでは国立大学や公立大学への受験ムードがあった。美術専門の高校に進むという手や予備校に通うという手もあったのだろうが、幅広く勉強することを優先していた。それもこれも含めて、ポッキリ心折れた尖りガール。そしてそのまま高校3年の秋が来た。教室に戻っても、話が合わないためもう誰にも声をかけられず、弁当もひとりで食べ、ふらふらと行き着いた先は、図書室の中の特別閲覧室という謎の倉庫だった。普段は滅多に人が入らない、鍵のかかった部屋。それを何て言って開けてもらったのかは忘れてしまったのだけれど、入っていきなり引き寄せられたのが、シュールレアリスムの巨匠ルネ・マグリット先生の巨大な画集だった。薄暗い窓のない部屋だったはずなのに、完璧な第二の光が降りてきた瞬間だった。

決まった。描くことをあきらめ、観ることにする。

尖りガール、再びエッジを立たせ、芸大の芸術学コース(観たり、お話したり、文章を書いたり、哲学したりするコース)に進学を決め、入試面接では持ち時間を1時間オーバーするまでマグリットについての熱き思いをぶつけ、ぎりぎり補欠で入学が決まったのだった。20世紀美術というお湯に肩までどっぷり浸かった10代最後。視覚や思考の揺さぶりに心酔していた。古典的な宗教絵画や具象絵画には見向きもできないくらい。少し新しい印象派までも。モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ。のちのポスト印象派ゴッホ、ゴーギャンなどなど。ザ・絵画に、端から端まで”ふ〜ん”だった。と、同時に 視覚や思考の揺さぶりに拍車をかけるように出会ったのが写真、カメラ。尖りガール、最大級のエッジを持って、キャンバスではなく印画紙に光を描く手段を得ることになったのは、もう言うまでもない。

(つづく/次回最終回)

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