books on the stool
okamoto , hyogo / JANUARY 2011
okamoto , hyogo / JANUARY 2011
土曜日。気恥ずかしいながらも、大阪新町のヘアサロンgiboさんで髪を編んでもらってから出かけた先は、神戸御影の弓弦羽神社(ゆづるはじんじゃ)。哲学者の彼と画家の彼女の結婚式。六甲山から吹き降りる神聖な冷たい風が心に残る、二人らしい厳かで美しい半分野外の神前式だった。
披露宴の席では、大阪中之島などで活躍中の「哲学カフェ」の哲学者たちや、大学教授さんなど、興味津々のお顔ぶれ。そして座席にはブランケットをそっと置いてくれる、二人のナイスな心遣いに感謝した。その席の皆様は写真が好きで、ある哲学者は「一生懸命話している人の顔が好き。」と盗み撮りちっくなスタイルで、教授は最新のチェキを持参されてその場で撮っては人にあげてを繰り返すおちゃめなスタイル。写真の話から臨床哲学の話まで、さながらそこは文化サロンと化していた。一瞬結婚披露宴であることを忘れてしまいそうだった。だから、ふいに司会の方に「花嫁さんは学生時代どんな方でしたか?」とマイクを振られて、「ストイックでした。」と可愛くない事を言ってしまい失敗した。本当の事だから仕方なかったのだが、がっくり来てしまい同席していた夫に「どうしよ。。。」と小声で言ったら、「サディスティックでした。って言った訳じゃないしいいんじゃない。」と小声でフォローされて、あ、そうだなと納得した。そんな宴を作りあげる二人。いつも通り仙人の様なたたずまいの彼。絵の具の付いてない綺麗な着物を着こなす彼女。さすがだった。
日曜日。スカートはやめてジャケットを羽織って、モエ・エ・シャンドンのシャンパンを片手に向かった先は京都の天使突抜367。出版記念と通崎好み倉庫「367」の完成記念パーティー。おもてなしははしからはしまで通崎睦美さん自らという贅沢。『天使突抜367』(淡交社刊)の中にも出てくる「現場メシ」を20人前で2日間かけて用意してくださった事に胸が熱くなった。通崎さんはみんなの”母”のようだった。そして見渡せばそこは京の街の文化人だらけ。「367」のリノベーション工事メンバー谷本天志さんを筆頭にほぼ全員に加えて、淡交社の北村さんに神野さん、古材を提供してくださった上田善の上田さん、古材文化の会の建築家瀧澤さんに、デザイナーの西岡勉さん(以前の著書のデザインを手がけられた)、着付けの大西先生に、手洗い場の陶器を焼かれた陶芸家近藤あかねさん、新聞の記者さん、そしてなぜか通崎さんがこの家を買われるために必要になった実印を作られたハンコ屋さんのお兄さんまで。まさに通崎好みリアルに大集合。お腹いっぱい、胸いっぱい、のぼせて鼻血が出そうだった。
この2日間の共通点。それはわたしにカメラ係を託さず、ゆっくりの時間をくださったこと。粋な計らいがこの上なく嬉しかった。いや、粋も何も、それがきっと自然だったことが嬉しかった。だから自然にカメラはたくさんシャッターを切っていた。
通崎さんのこのリノベーション奮闘記はどう読んでみても面白くて、完成の章では思わずホロリとしてしまった。知っているのに、それもお風呂の中で。そう、近頃は落ち着いて本を読める空間がお風呂場しかなくて、湯舟に半分浸かりながら汗やら涙やらでしっとりしてしまいながら。
本が発売されてからか、小さな本屋さんも大きな本屋さんもちょろちょろ気になっている。それもやっぱり「お家」にまつわるエッセイは。先日初めてうかがったのは左の写真の古書店。天神橋の街の角の「FOLK」さん。仕事場のみんな(といっても3人だけど)でうかがって、わたしは大橋歩さんの住まいや暮らしにまつわる昔のエッセイを3冊、オグラユウジくんはおしゃれで可愛いチェコの絵本を、そしてマツカワくん(夫)はビッグコミック×藤子・F・不二雄のSF短編集をそれぞれ手にしていた。趣味バラバラの3人それぞれ「あ、ほしいな。」がちょうどいい具合にある「民、みんなの」という意味の名を持つ古書店さんだった。
しかし一家は急遽ホテルの空きが出て、我が家のすぐ近くに泊まってくれた。
そして次の朝、一家は我が家に来てくれた。
スーツケースと、そしてお腹の中には新しい命を抱えて。
撮影モデルで我が家に来てくれたあの日や、大阪から千葉に転勤になって引っ越し前日の夜までピザパーティーをしたあの日から約1年ぶり。一緒にモデルになってくれた近所のrunoちゃん親子やkogikuちゃん一家も、一気に集まってくれての軽快なスープパーティーとなった。「今日で今日」のような出来事。ものすごいフットワークで移動できるみんなに、わたしはただただ感動していた。
全員でソファに座って記念写真を撮って、そして一家は答えを出して、再び千葉に帰っていった。たった3時間の出来事だった。一度出て、考えながら、移動する。それはこの非常事態について考えるひとつの在り方なのかもしれない。その時間を共有できたことに、深く感謝。息子は何かを感じたのだろうか。お別れのその時、hanaちゃんにそっと近づいて「タッチ〜」と言ってハイタッチしていた。驚いた母たちは、最後に大きなハイタッチをして、この大切な時間にサヨウナラをしたのだった。
その夜のこと。いつもと違う一日を過ごしたせいだろうか、息子の感覚はいつも以上にシャープになっていた。一緒にお風呂に入っていると、ある瞬間、ぴたっと動きが止まった。何かを凝視していた。何かと思ったら、それは干していたネットから滴り落ちる「しずく」だった。光の反射でそれらはキラキラと光っては消えていく。なるほどと思った。そして「きれいやねぇ」「美しいねぇ」とわたしが言うと、喜ぶどころか少しおびえた様子でしがみついてきたのだった。
自然の美しさと怖さ。
しずく一つからもう一度気づかされた、静かな夜のひとときだった。
suminoe,osaka / OCTOBER 2010
関西のみなもまた、想像以上に東北関東の事を想っている。あの日の震災を経験しているからだろうか、溢れる情報を目にしてだろうか、想像以上に心を使い、想像以上に心を痛めている。
少しだけ心を休ませてもらおう。
少しだけテレビやインターネットのスイッチを切らせてもらおう。
大丈夫。絶対に忘れたりしないし、誰も怒らないだろう。
ひとりでこもらないでいよう。話そう。語ろう。
おびえず、忘れず、元気でいよう。
■HOSTEL 64 (ホステルロクヨン一周年記念企画「64×1」は2011.3.13(Sun)-3.26(Sat)まで。写真展やサイクリングツアー、革小物ワークショップも開催されている。)
すぐに心配になったのは、息子のことと、仕事場の現像機のことだった。
精密器機である現像機は揺れにはもちろん弱い。築34年のレトロなビルの3階で横には川。なかなかにハードボイルドなところに位置している。夫の携帯に電話するも、繋がらずどきっとした。しかし、それはしっかりラボマン小倉優司に守られていた(というか、むしろふだん通る大型トラックの方が揺れを感じるそうだ。いや、それも怖いのだが。それでもこの2年大丈夫である)。
そして息子。お迎え時に、その時の様子を聞いた。園児たちはもちろん「?」ということだった。ちょうどおやつの時間で、それを切り上げる方が大変だったとか。そうして、一番強度の高い壁側にみんなで玉になって先生が守ってくれていたそうだ。
左の写真は、我が家の天井。出かける前に照明器具を吊るす「引掛ローゼット」の形状を撮影していた。地面が揺れたら、照明器具にも要注意。たとえそれが小さくても。それより何より、今はとにかくひとりでも多くの命が救われることを願うばかり。東北の”今”を想うと胸が痛い。
play ground , osaka / OCTOBER 2010
その保育園に、息子は通っている。
生後9ケ月から、もうすぐ1年。
入所が決まったのは2010年の2月のこと。あの一連の時期は、心臓がギクっとなるくらい緊張していた。区役所に提出する入所申請書類をまとめている時は、離れる寂しさと働くことへの期待と不安がごちゃまぜだった。その上、今住んでいる大阪の認可保育園はまだまだ少なく、待機児童数は当時600人とか一時期は1300人とか、もうよく分からない情報が錯綜していた。だいたいこのあたりの0歳児の受け入れは一つの園に対して10人程度。1歳児クラスなんて持ち上がりのため2人とか3人になるらしく、「待機児童」というのが全く他人ごとじゃない状況だった。だから第一希望で決まったことは、とても嬉しく大切に受け止めた。
一方、今年もやっぱりこの待機問題を目の当たりにされている働く母さんの声をよく聞く。特に自営業やフリーランスで働く母さんたちは、厳しい闘いとなっている。辛い。今もなお全く他人ごとじゃないし、ウキウキした気分だけでの進級でもない。
入園当初の息子はそれはそれはたくさんの病気をして、胃腸炎類はわたしや夫も地獄の苦しみを味わったこともあったけれど、3ケ月もすればそれは落ち着いたものだった。しかし、預けれたヤッホー万事OKということでもなく、それはそれでまた違う闘いの幕開けなのだ。働くのだからもちろんものすごく忙しい。正直言って、どっぷり疲れている母さんたちもいっぱいいる(入院までしていたわたしが言うのもアレですが)。預けたい預けられない、働きたい働けない。どんな状況であれ、2月3月はそうした母たちの悩ましい季節のピークでもあるのだ。
だからこそ、わたしにとってはこうした環境の中での新しい出会いというのが何とも深い。
息子には園でも気の合う友ができた。七夕生まれのkouちゃんもまた陽気な1歳8ケ月の男の子。生まれた時期も身体のサイズもだいたい同じの二人は何かとちょうどいい感じのようだ。二人はいつも何だかウキウキしながら、何だかよく分からない言葉でおしゃべりして、音楽がなると一緒にステップを踏む。特に息子はkouちゃんにぞっこんで、ちょっとうっとうしいくらいのようだ。そうした行動やしぐさを先生や母さんたちと分かち合って笑っている時が、また一つの栄養剤になっているのかもしれない。療養中に頂いた京都の「かねいち」さんの「はちみつ生姜湯」を飲みながら、感慨にふけっている。