弁当と団地と先生と

今日はお世話になった保育園の先生とサヨナラの日。いつもより10分早く起きた。特別保育期間だったこの3日間はお弁当持参だったため、ラストの今日はごはんの上に海苔で先生の名前を大きく書いた。朝からまたポロポロ泣けてきた。春なんて大嫌いだ。でも、白ごはんの上に乗っている無骨な海苔文字がだんだん笑えてきて、いつの間にかだいじょうぶだいじょうぶと思えてきた。仕事を終えたら、お迎えが待っている。

一路、地下鉄中央線で森之宮へ。今日のお仕事は「団地R不動産」(この春、コラムとしてアップされる予定)。森之宮にある「UR都市機構西日本」 さんと団地R不動産の母体の「東京R不動産」のメンバーによる座談会風景の撮影というどのワードを取っても、汗吹き出る興味深さだった。しかも、 到着するなり、この団地。UR都市機構西日本支社の真横には昭和40年代築の「森之宮団地」がそびえ立っていた。ちょっと震えた。

書籍『東京R不動産』(2006.4 / アスペクト刊)ではメインカメラマンを担当し、このところ大阪に上陸した「大阪R不動産」のオープニングサイト でも街の写真で参戦させて頂いた。そしてついに、ひっそり輝き始めている「団地R不動産」。全国で290万戸、この21世紀にもいまだ存在する 「団地」という住空間。それをRの視点でセレクトし、紹介、そして仲介するという “だいぶ変な” 不動産屋さん。運営メンバーの建築家の馬場正尊(OpenA)さんと東京R不動産の千葉敬介さん、OpenAの大我さやかさんに、再びここで出会えたことが本当に嬉しかった。相変わらず、静かに熱くて。さらに、UR賃貸でおなじみの「UR都市機構西日本」さんたち。馬場さんが「さすが、大阪人。」 とおっしゃるだけあって、4名のトークのスパーク度数は半端なしだった。わたしなんて帰り際には、「明日、団地に引っ越します。」と言ってしまっていたのだった。

団地の余韻ひっぱりながらも、あっと言う間にお迎えの時間は来てしまった。ざわめくロッカーは、もうすでに新しいネームに貼り替えられていた。なぜかそこで何かが吹っ切れた。春はもう来るしかない。サヨナラはもう目の前。そやけど、あかん。先生がすでに涙ポロポロ。おもひでぽろぽろ。あかんあかん。団地団地。そう言い聞かせながらも、だめだった。先生はお弁当に大笑いだったのかと思いきや、号泣だったと、最後に聞いた。海苔で感じてくださる、そんな先生が、わたしたちは大好きだった。会いにいこう。電車に乗って、また、会いにいこう。

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だいじょうぶだいじょうぶ

家中に転がっている夫の本を拾っては積み、拾っては積みしていたら、こんなになってしまった。撮影仕事が延期になった昨日から明日までの3日間は、この倉庫の整理をしている。この対岸は本棚と写真やフィルムなどのストックヤードになっている。それにしても、何冊平行して読んでいるんだろうか。わたしは1冊集中型で、下手したらもう一回そのまま読み返すくらいなのに。ちなみに今読んでいるのは、「朝型生活」の本。3月はサヨナラの季節。変わることが心配で苦手なわたしは、この1ケ月間ほとんどメソメソよわよわ時々ほわほわしているだけだった。どうにか変わる勇気を付けたい。

だいじょうぶだいじょうぶ。

保育園の先生がよくこう言ってくださる。2年間お世話になったその先生は、あと2日で退職されてしまう。人一倍敏感で、恐がりで、慎重派の息子が もう一人の家族のように安心感とぬくもりを感じていた先生。それもそのはず、わたしもどっぷりその胸に飛び込んでいたから。仕事のことも家のことも、身体のことも何でも。心配性なわたしの不安や悩みには、いつも手紙を添えて答えてくださった。4月からは新しい園生活。お部屋が変わる。ロッカーが変わる。机が変わる。椅子が変わる。布団が変わる。そのどれもに、先生はもういないんだ。夜になったら涙がポロポロ出てしまう。いまももう ポロポロ止まらない。

だいじょうぶだいじょうぶ。

母はよく言ってくれていた。わたしは2つ下の妹「みきちゃん」のことが物心ついた頃から心配で心配で、「みきちゃん、そこあぶないで。」「ついてきてや。」「ゆっくりやで。」と鬱陶しがられるくらい言っていた。お母さんがちゃんと見ていないような気がして、わたしが見なければ!と思っていた。お母さんはちゃんといっぱい見ていたのに。妹ばかり見て、お母さんが見えてなかった。案の定、”事”は起こった。自転車で前を行くわたし。玉付き自転車で後ろをついてくるみきちゃん。家の前の交差点で自動車確認よし、右よし、左よし、「だいじょうぶやで。」とゴーサインを出し渡った。幅5メートルあるかないかくらいの交差点。その5メートルをみきちゃんが渡り切るまで振り返り振り返り、振り返り振り返り走っていた。すると、ゴツ〜〜ン。電信柱に衝突。あぶないのはわたしだった。みきちゃんはその横を「おねえちゃん、だいじょうぶ?」と玉コロコロ鳴らしながら、あっさり通り過ぎていったのだった。そんな事はしょっちゅうだった。

だいじょうぶだいじょうぶ。
いまなら、ちょっと分かる。分かってきた。

案外、みんな、だいじょうぶ。

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<失われた島への到着の仕方>

3/17。西宮での撮影仕事を完走してから、年に数回の一人夜タイム。

美術作家かなもりゆうこさんの「Memoriae メモリエ」展へ。
この日、最終日。難波ど真ん中のザワザワ感も忘れてしまいそうな「A.I.R1963」という名のレトロビル3F。ギャラリーほそかわ。

白い木のドアをそっと開けると、そこには繊細で緻密で、それでいて、優しくて柔らかな風のような作品がそっと置かれていた。かなもりさんの作品に出会う時は、いつも自然と「そっと」なる。この「そっと」にこの日も出会いに行ったような。

18:00ギャラリーは一旦クローズ。その後、特別パフォーマンス<失われた島への到着の仕方>が開かれた。構成と演出かなもりさん。出演は納谷衣美さん。受付での精算から、着席、お菓子と飲み物のおもてなし。手づくりのクッキーと修道院製のゴーフレット。ワインが飲めないわたしは透明のサイダーにレモンと角砂糖の入った美しいレモンスカッシュを頂いた。そのひとつひとつのパーツも、かなもりさんのパフォーマンス作品。そして、 そっとはじまった。納谷さんの動きは日常のしぐさや行動など、誰もが知っているようなもの。そのどれもが、作品や空間に調和している。紙や布や枝は納谷さんの手でそっと置かれるだけで、たちまち自然界の風景と化す。

「見立て」という言葉がある。「物を本来あるべき姿ではなく、別の物として見る」という物の見方。それを凝縮した世界に例えばお茶室や日本庭園などがあるけれど、かなもりゆうこさんの世界もまたしかり。何を何に見立てるのか。そのセレクトの確かさと美しさが、ものを言う。「この古いチェコ語の本を開けたところに<海>があったんですよ。」と、かなもりさん。そこに、銀色の折り紙で折られた小さな二艘の舟が乗せられていた。海が確かにそこに、あったのだった。

※パフォーマンス終了後、許可をいただいて作品の一部を撮影させて頂きました。

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砂場デビューと頂上

フローリングにコルクマットを敷き詰めた。珈琲のドリップの練習をした。
頂上(リビング)でゆっくり過ごしてたら、2週間経っていた。

砂場デビューしたのはわたしのこと。2歳8ケ月の息子はもうとっくの昔にデビューしている。わたしはデビューシーズンに大きく体調を崩してから、 すっかり縁遠いものとなっていた。寒いし、ばっちいし。などと思ったりもしていた。きっかけはちょっとしたこと。Meets西区特集の取材でもお世話になった植物屋「JAL」さんで鉢の植え替え待ちをしている間のこと。子連れかつ目の前が靭公園の砂場で、入らざるを得ない状況に。幸いほとんど人も居ない。 適当にスコップやバケツも落ちている。しかし、どう手を出していいのか分からず、何をしていいのか分からず、子の動きを見ているだけだった。固まっているうちに、ほんとに寒くなってきた。帰りたいなぁと思った矢先、”子育て慣れてます”オーラ満載のお母さんが3歳と0歳くらいの兄弟を 連れて入ってきた。そのお母さん、腕まくりをしながら「さぁ、ママなにつくろっかなぁ〜!」と子どもそっちのけでバケツにがんがん土を入れ出した。バケツひっくり返して、はいケーキ。はいおうち。はいお山。3歳はそれに合わせて一緒に作るは踏むは、0歳は土まみれだはのハイスピード。なんだこのテンション。かるくカルチャーショック。思わず、そのお母さんに「た、た、楽しそうですね。」と声までかけてしまった。「えへへ!」と見た事のない種類の笑顔が返ってきた。あ、そうして遊んでやったらいいんだ。カルチャーショックもう一発。かっこよかった。

いい刺激を受けつつ、子どもとの「遊び」が楽しくなってきた今日この頃。ご近
所のお友達たちを家に呼んだ。子どもたちが遊びやすいようにと(親たちがちょっとでもおしゃべりしやすいようにと)、室内ジムを中央に持ってきたら思いのほか好評で、みな振り切れながら遊んでくれていた。コルクマットが、音も衝撃もカバーしてくれた。2歳から4歳まで。女の子も男の子も。成長していく子どもたちの姿を見ながら、ほころんでいる自分。まさか”頂上”が遊具や玩具でまみれるとは思ってなかったから。ほころんで、ゆるんで、何だかほわほわしてしまう。

あぁ、ほわほわしているなぁ。と最近よく思う。

踏み出すエネルギーを出し惜しんでいる。がつがつしてない。そんな感じ。そうかそれを「3月」というのか。ヨガの先生が言っていたのだ。「3月は草や花と一緒で、エネルギーを貯めて貯めて、そして一気に芽を出したり開花したりと、身体じゅう激変する月なんですよ。」と。ならば、はじめなくても出さなくてもいいか。咳も熱も出てないこの3ケ月を無事に過ごせて、砂場デビューできただけでも大きな1歩。がつがつしてくる時を、待とうと思う。そう、ほわほわもしてたいけれど、がつがつもしたいのだ。

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山その後

1つ越えたはいいが、まだ1つ残っているではないか。

大阪西区の夜7時40分。土佐堀にあるラボでプリントを修正して、江戸堀にある編集部にプリントを届けて、靭にある我が家に戻る。これを無謀にも「30分で帰るしな。」と言って出たからにはのんびりしていられない。帰らねば。もちろん2-3歳くらいの子どもに30分というような時間感覚はない。しかし、 子は子で「”30分”という”やつ”で、帰ってくる」という漠然とした何かを持って、それを信じているからやっかいなのだ。とにかく30分。きっかり30分でなくてもいいのだけど、40分ではダメっぽい。急げ。

駐輪場に自転車を放り込んで、エレベーターで8階。箱がなかなか降りてこない。こういう瞬間が一番長く感じる。富士山でいうところの「8合目」くらい(行ったことないけれど)。もうすぐ頂上なのに。そうしているうちに時刻は35分を経過。ギリギリOKなのか、ギリギリアウトなのか。もう泣き止んでいるのか、まだ泣いているのか。慣れない状況の中、いろんな想像が頭をよぎりつつも、なんとか9合目に到着(玄関)。「”30分”という”やつ”で、帰ってきたよ!」フェイスでドアを開ける。元気よく「ただいま〜!」と言う。も、誰も来ず。音沙汰なし。状況見えず。山の頂きへと続く道(短い廊下)を恐る恐る登っていく。あの岩場(食器棚)を越えれば山頂が見える。恐る恐るのまま、ついに山頂(リビング)へ!

「あ、かぁか。」ソファに横たわりながらトミカを並べてくつろぐ子。「お、かえり〜」とテレビを見て気もそぞろな夫。なんだ、このさりげない感じ は。何事もなかったかのような雰囲気は。山の頂きとはそういうものなのか。そうかそうか、そういうものなんだな。と、ふと子の顔を見ると、鼻も目のまわりも真っ赤っか。後で夫に聞くと、帰ってくる5分前まで泣いていたようなのだ。時計の針を見たり、外を見たり、あれやこれやと言って納得したのが5分前。山頂は山頂で、いろいろあったのだ。5分遅れてよかった。5分早かったら、また違った山がそびえ立ってきていたに違いない。

こうして1ケ月近く登り続けた山々が、ひとつのカタチになった。
Meets Regional』2012年4月号、「大阪西区」特集。
土佐堀のラボから江戸堀の編集部、そして靭公園をぐるぐるぐるぐる。見慣れた風景を切り撮る毎日、編集されていく毎日が、吐きそうなくらい面白かった。熱かった。編集長の蔵さんありがとう。街のみんなありがとう。家のみんなありがとう。

■FLAT-FIELD.NET / NEWS up (詳細いろいろ)

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