その穴の空いた壁に

神戸女学院大学パンフ撮影も4年目に入った。編集者の青山ゆみこさんは開口一番「元気そうですね。」という言葉を下さった。嬉しい。ちょうど去年の今日から半月、わたしは入院生活に入ったのだった。1ケ月以上続く咳で肋骨は折れ、40度近い高熱にダウンし、あらゆる検査の結果4つの細菌感染症から重症肺炎を起こしていることがわかった。そしてさらに4ケ月後、再び猛烈な細菌感染症に襲われ、今度は何度も夜中に呼吸困難の発作が起こり、そのたびに壁を叩いてえずいていた。再びの重症肺炎と気管支喘息。ぞっとするくらい苦しくて、涙さえ出なかった。1回目の入院以上にダメージの大きかった2回目の入院。ほとんど誰にも言えなかった。

応援団はたくさんいれど、自分1人で闘っているつもりでいた20代。29で会社を作って、30で母となり、さらにその闘い欲が加速して、32で限界をあっという間に通り越して自分ではブレーキもきかず、分厚い壁に思いっきりぶち当たってついに止まるが、その壁に埋まってしまって出てこれない。そんな感じだった。壁の中でもがき続けた1年間。自分のせいにしたり、人のせいにしたり。散々な有様だった。ただ片時も「最悪」とは思わなかった。だけど、もうさすがにアカン。家族や友人や仕事仲間に心配や苦労をこれ以上はかけたらアカン。今度こそは全力で壁から出るのではなく、試行錯誤しながら、壁を壊さない程度に慎重に出てくる、そんな1年だった。そうして33が来た。今からは、その穴の空いた壁にいろんな人と一緒にいろんなドアをつけて、いろんな向こう側へそっと行ってみたい。

18歳の時、写真をポストカードにしてアートマーケットで売ったら売れてしまい、写真部を作れば部員が150人集まり(もちろん残ったのは数十人)、その楽しさから写真とプリントにのめり込んで、一気に15年。写真とプリントはいつ何時も、人を集めてくれる。それを信じて、守り続けた。3年前にはその名もそのまま「写真とプリント社」という自然光スタジオとプリントラボを一体化した無謀な空間を、仲間と一緒にオープンした。フィルム写真メインというやっかいなカメラウーマンを、有り難くも面白がってくださる無謀な方々。そんな人が最後の一人でもいる限り、何としてでも続けたい。どさくさまぎれに、そう宣言する。

思い返せば、入院中も、病室にちょっと貼っていた写真から話は広がって、次から次へと妙に看護士さんやら先生が長居する空間になっていた。研修医にはカメラ選びまで机上でつきあった。保育園ではいつも全開であーだこーだと写真のことを話すせいか、ほとんどのお母さんと先生が応援してくれている。ついには、ある方から100台近くのクラシックカメラを譲り受けるというダイナミックな出来事が巻き起こったりもした。夏から秋にかけては何度も自転車で仕事場まで運び入れ(夫が)、会社オープン3周年記念にマーケットを開くまでになった。そして思いっきり売れた。使えないジャンク品も、見方を変えれば可愛いインテリアになったりする。何てこった。イケてるやん。ちょっと調子に乗ったひとときもあった。ありがた過ぎてもうよく分からなかった。

また壁に埋まっても、また這い出てくるよ。
その穴の空いた壁に、何度でもドアをつけるよ。

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