センチメンタルよサヨウナラ

6月23日。3年目を迎えた。
あの日。センチメンタルの大爆発(出産)の日から。

予定日を10日ほど過ぎたあの日。もう4-5分間隔でどんどんやって来ているというのに、自分の身体から出ていくことがどうしても信じられなかった。受け止められなかった。到着した駐車場では「行くの嫌。」としゃがみこんで泣いては夫に引きずられる様に中に入ったし、台の上では「わたし、産むんですか?」と先生に聞いていた。「あなたが産まないで誰が産むの?」と笑いながら怒られた声がいまだに忘れられない。そうよ、忘れられないわよ、あんな大爆発。

10ケ月近くお腹の中でうごめいていた物体とようやく一体化したというような瞬間に、なぜ離されなければならないの。という感覚。会えたという喜びよりも、寂しさと空虚感と喪失感の方が大きかった。病室のカーテンが風でなびくだけでも、涙して。横で動いている赤子を見るだけで、涙して。お腹の凹みに、涙して。変わってしまった自分。変わらなければならない自分。変わってしまう自分と現実への不安。センチメンタルが次から次へと止めどなく押し寄せてくる日々だった。

「母、強し」なんて期待はずれ。どんどん弱くなっていく。ややこしい自分がめんどくさい。一体全体なんなのよ。約2年半くらいは、そんな思いと隣り合わせだった。(いや、もちろん今も時々そうなんだけれども。)そうしていく中で、2年と10ケ月を過ぎたあたりから、そうそう、2週間のロングバケーションのあたりから、もうそろそろ今を生きようよと思えるようになった。子の成長、会話、コミュニケーション、家族、友人達との優しい時間の積み重ね。センチメンタルよサヨウナラと。ようやく色んなものが追いついてきたのが、本当に昨日今日のお話なのだ。

ちょうど昨日、美術作家の安田辰雄さんから届いたDM。
わたしに向けてそっとこんな一文が添えられていた。

— 守るべき人ができますと、
ただ生きているだけではすまなくなります。

ああそうか、今欲しかった言葉はこれだったんだ。
久しぶりにあの日とは違う涙が出たのだった。

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