紙にえんぴつの世界で

宇多田ヒカルさんのTwitter発信が騒動になっている今日この頃。想いを伝えることの強さと儚さを感じずにはいられない。

グラフィックデザイナーの原研哉さんのある日のTwitterにはこんなことが書かれていた。「インターネットのない時代を僕らはもはや想像できないが、そういう時代が長く続いてきたのだと思うとなぜか感慨深い。世界は静かだった。それでも産出されるイマジネーションの量は今と変わらなかったかもしれない。」と。ふと立ち止まらせてもらった言葉だった。

想像すること。わたしはというと思わぬもので毎日ふる回転している。それは保育園の連絡帳。インターネットなどとはほど遠い、紙にえんぴつの世界での伝達手段である。A5サイズのそのノートには今朝の体温から始まり、健康状態・便の回数と硬さ・朝食と夕食のメニュー・就寝時間と起床時間、そして家庭での様子を書いて提出。すると園での様子・食事の量・排便時間と硬さ・午睡時間が記入されて返ってくる。毎日毎日行き交うこの細やかな情報と言葉から、離れ離れの時間を双方に想像することになる。

わたし「お豆を一粒一粒スプーンですくって食べていました」「今夜の寝かしつけはお外で抱っこ30分でした」。先生「今日は用意して頂いた可愛い上着を着てお散歩に行ってきました。靭公園までとはいきませんでしたが、道草をしながら歩いてくれましたよ」。こんな風にちょっとした事のようで最高に嬉しい出来事を知ったりする。わたしのお友達が息子用に作ってくれたスモックをちゃんと着せてもらっていたこと。少しずつ歩ける距離が伸びていること。そうして想像しては、また明日へと繋げていくのだった。

世界はまだまだ静かなのかもしれない。

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