そして今夜もやってくる

東京からのお客様と8時間の打ち合わせ。まさに打っては合わせ打っては合わせという作業を繰り返して次への道を作っていく。そうして準備を重ねて撮影の時を迎える。いつの間にか定番スタイルとなってきた。小中高で養った体育会系の根性はこういう時に役立っている。とはいえ、やっぱり8時間はかなりきついのだった。

ついに始まったような感じの息子のささやかな夜泣きもけっこうきつい。この1年は朝まで一度も起きないような息子が、1歳と4ケ月を迎えた頃から夢か何かでびっくりしたように夜中の3時や4時に静かに泣くのだ。それも毎日。目を閉じたまま、正座をして、両手を前に出して、呼ぶように泣く。抱きかかえるとすぐに泣き止んで眠る。眠ったので置こうとするとまた静かに泣く。それをわたしは1時間くらい繰り返すことになる。真っ暗闇の中、無の境地でやっている。自分は寝ているのか起きているのか、座っているのか横になっているのかさえも捉えない。そうしていると不思議に楽なのだ。ただ時間によっては外が白み始め、自分や向き合っているものにはたと気づくことになる。それがきつい。あぁ、見えることの無情さよ。これからは光の中でも無になりたいものである。

「チャンスは準備された心に降り立つ」とは、先日取材先で科学者の藤木道也さんがおっしゃっていたフランスの細菌学者ルイ・パスツールの言葉。偶然や幸運ではなく、十分で周到な準備のもとに人類の進歩に繋がる発見や発明がもたらされるという事。その果てしない科学の世界にほんのわずか触れた時、恐れ多くもあの8時間の打ち合わせも半月ほど続いている自然の摂理にも、全く無駄はないと再確認したのだった。38億年前の生命の源まで思いをはせて。

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