枯れ木のキモチ

細々と育てていた我が家のベランダの木。入院中にすっかりシワシワに枯らせてしまっていた。「入院中」というのは、昨年末に4つの感染症から重症肺炎を起こし約半月闘病していたわたしのこと。春だというのに、なんとも惨めで寂しい風景だった。だけどもあきらめず、干からびた土に4ケ月ほど水をやり続けていたら、昨日ついに枯れ枯れの隙間から芽を出してきたのだった。

どっからどう見ても、枯れ切っている木も、あきらめなければ生き返る事もあるのは小さな頃から知っていた。実家の玄関先に植えてあるキンモクセイを、3年くらいかけて生き返えらせた記憶がある。台風でぽっきり折れてから、元気がなくなり枯れてしまったキンモクセイも、今や一階の屋根くらいは越える大きさに育ち、秋には町内中にその甘い香りを解き放っている。

方や今のわたし。重症だった肺は、早々には完全復活してくれるものではないようだ。感染症から患ってしまった後遺症のようなものとも気長につきあっていくことになってから、時々、やっかいな「検査」というものに出向いている。先日行った肺活量を測定する検査では(これがもう涙が出るくらい苦しかった)、肺年齢45歳と診断された。プラス13歳である。もちろん要継続検査。がっくりだ。小・中・高と体育会系ライフを過ごし、マラソンでは常に学年10位以内には入っていたのに。NOたばこ、NO飲酒。そしてここ10数年はひとりでカメラも三脚も担いで走りまわっていたのにだ。なんてこった。なかなか早々、うまくはいかない。人間だもの。

そう、人間だもの。焦るのだ。だけど、そんなわたしに柔らかな水を注いでくれるのはやっぱり人間。家族、そして主治医に、仲間たち。励ましやアドバイスではなくて、身体の痛みや苦しみを聞いてくれる。じっと耳を傾けてくれる。ただそれだけで、ひとつ芽が出る感じ。

初めて知った枯れ木のキモチ、のようなもの。

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