京都スイッチ

まだ撮影に走り回っていた臨月間近の時、だんだんと自分の身体の変化に不安とセンチメンタルが押し寄せてきて、その時駆け込んだのは編集集団140Bのオフィスだった。まだ中之島ダイビルの中にあった時で、編集者の青山ゆみこさんがお忙しい合間を縫って、わたしの”編集”をしてくださった。その時に出た言葉の1つが本にもある「青春の終焉」。産むって、そういうこと。カメラマンであるわたしとか、写真家であるわたしとか、仕事をしているわたしとか、そういう自我がきっと絶対変わるという恐ろしさ、なくなってしまうんじゃないかという恐ろしさが押し寄せてきていることに、気づかせてもらった。心はむしろ、なんだかすっきりしたのを覚えている。

その時、オフィスに積み上がっていたのが1980年代のエルマガ別冊「シティマニュアル」特集。のちに現在も刊行中の『ミーツリージョナル』になる伝説的雑誌。それがポンと置いてあるではないか。しかもその編集者でありミーツ黄金時代を築き上げられた江弘毅さんが中島淳さんとオフィスの向こうで何かについて「どや!ええやろ!」とドデカイ声でトークされている。やまほど青春されてきたであろう方々。そしていまも青春真っ盛りとしか見えない。すごい。青春が終焉したら、また違う色の春を生きようではないか。街に出よう。そう思ったのだった。忘れかけていた。

アイデンティティの揺らぎを楽しく抱えて、ちょっくら京都に帰省してきた。
ついでにプジョ−205CTIも、ついにクライマックス。預けてきた。

帰るなり、母には先日の家計簿の記事について「しみったれたこと書いてからに。」とチクリ。母の笑顔と、わたしの青春が詰まった本棚を前にすると、だいたい京都スイッチがパチっと入る。(ちなみに今日もミンチでカレーです。)母は本当にマッチョで根性キマっているので、もうすぐ60歳でも片腕で14kgの息子を抱っこしながらガンガン歩いてくれる。日曜日には町内の地蔵盆でフルに働いていた。わたしも息子を連れて20人くらいの子どもたちに揉まれてきた。完全に固まっていた息子も中3のシンジくんという男の子だけには心を許したようで、福引きでもらったブロックで新幹線やら飛行機やら作ってもらっていた。シンジくんは3人兄妹の長男でいま受験生。忙しいながらも年に一度の地蔵盆が密かに楽しみなんだけど、一番年上になるから恥ずかしそうに出たり入ったりしていた。でも、息子が喜んでくれるからと1時間くらいずっとつきあってくれて、「ほな、さいなら」と勉強に戻っていった。と思ったら、家の2階から息子の様子を覗いてくれていて、あんまりにも覗き込みすぎて網戸はずれて焦っていた。

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