bread and bicycle
“colombo” shinsaibashi , osaka / JULY 2011
“colombo” shinsaibashi , osaka / JULY 2011
atelier,osaka / JULY 2011
atelier,osaka / JULY 2011
自分たちで働く場所を作ったとはいえ、入院→退院→療養でフルで労働できていないわたしにインカムはない。そんなに世の中甘くはない。ちょっと試しに7月いっぱい家計簿を付けてみたら、もう途中から驚愕のン十万出費に愕然とした。どっからどう見ても、ダブルインカム時代のしかもわたしがノリにノッていたフリーランス時代の勢いそのままに生活している様子が浮き彫りになってきた。贅沢しているイメージや、無駄使いしているイメージは全くないのに何故。それは、固定費だった。そもそも家賃が高い。駐車場が高い。前年の収入で決まってくる、保育料が高い。ノリノリ時代の設定のまま、1人産まれ、1人ダウン。これでは当然イカンのである。引っ越しも考えた。しかしいま環境を変えるのはリスクが高い。そうした中で出た結論が、まず、駐車場の解約だった。車。わたしの車。フランス車のプジョー205CTI。維持費半端ない12年間の友との別れである。一旦京都の実家に預けることに決めた。それからどうするかは、これから考えることになる。
1ケ月の家計簿によって導き出された、サヨウナラ。
車への決断を皮切りに、生活は勝手に変わりはじめた。
信じられないけど、弁当を持ち始めた。
細々作れないので、まずは白ご飯を、まずは夫から。
おかずは近くの量り売りのお惣菜をバランスよく。
そしてわたしも。仕事場へ行ける時は白ご飯とお茶から。
使いにくいアラジンの水筒にイラっとしながら。
肉はミンチ。スーパーではとりあえず一番高い肉を買っていたのをやめた。
カゴ一杯で5000円くらいというアバウトな買い物もやめた。値段を見る。
時々カレー。奥深いカレーを自宅で作る勇気がでなかったのだけれど。2日持つ。
頂きものに感謝する。お野菜やうどん、お菓子を有り難く運用する。
お風呂の水は半分に。クーラーはそもそも付けない。扇風機は弱。
きっともっといろいろあるんだろうけど、無理しない。
勝手に変わっていくの待ち。
タブラ奏者ユザーンさんによる、レイ・ハラカミさんへのお別れの言葉が泣けて泣けてたまんない。KORG社のページで垣間見れるお二人の映像や「川越ランデブー」を、今日もニヤけながら見ている。こぼれ出してる愛とか幸福感ってこういうのだな。わたしこういうのが好きなんだなぁ。この1週間、身体が快適なわたしはクリアーに世界を見渡せている。
■レイ・ハラカミさんへの言葉(rei harakami オフィシャルウェブ、下)
■U-zhaan × rei harakami(KORG社のWAVEDRUMのPR映像/ページ一番下)
■リアル”川越ランデブー”(楽曲の題材になったきんぴらごぼう店に二人が訪問する映像)
Marutamachi , Kyoto / MARCH 2009
多感最前線だった10年前のわたしたち姉妹。
2001年に出会ったCD『red curb』は衝撃的な浮遊感をもたらしてくれた。
テクノ・エレクトロニカ音楽家のレイ・ハラカミさん。
わたしたち姉妹も住まう京都から生まれた音楽だった。
誇らしく、未来を感じ、世界に繋がっていった。
ライブで見たあの姿。
優しく、強く、そして、泣きながら、奏でている、ようだった。
それから10年。
いまも変わらずハラカミサウンドが身体の約半分に染み付いている。
鴨川を見ると、流れに乗ってその音が流れてくる感じまでする。
もうちょっとしたら、宇宙のどこかから流れてくるんじゃないか。
少し、京都に帰りたい。
■レイ・ハラカミ(rei harakamiオフィシャルウェブ)
■yanokami(矢野顕子さんとレイ・ハラカミさんのユニット)
Izumo , Shimane / JULY 2011(photo by Y.Matsukawa)
さて、夫34歳。奈良生まれ。出会いは大学を出た後にさらに通っていたアートスクール。お互い、メディア編集を学んでいた。もう10年くらい前のこと。当時使っていたパソコンがMacBook G3(黒いノートブック)と同じだったことから、頼りにしはじめたのがきっかけだった。28歳で結婚。31歳で写真とプリント社設立。ソウル、ディスコ、ハウス、とくにシカゴ好き。日本語ラップ、ポップミュージック全般好き。隙あらば漫画読みたい、アイス食べたい、レコード買いたい、映画観たい。だけどできない。そんな暇ない。ヨメはん療養。俺、動揺。お風呂。おむつ。着替え。寝かし。家事、仕事。なんでもやるぜ。がんばるぜ。という今日この頃である。
3連休、「ひとり旅に出てもよかろうか。」という申し出を誰が止められようか。いってらっしゃい。どこまでも。行き先は岡山から倉敷、鳥取県、出雲大社、そして米子。ゲゲゲである。予算3万握りしめ、もちろん鈍行列車。学生時代の友人たちの力を借りて移動ありーの、あまりの暑さにTシャツにパンツはコインランドリーで洗いーの、100均でサンバイザー買ーいの、ナチュラクラシカでリクエストしておいた砂浜ひとりポートレイト撮りーの、いきいきとご帰還の34歳だった。
atelier,osaka / JULY 2011
さて、そんなに泣いてしまうくらい、三連休何がどうだったのか。
場所は1ケ月ぶりの京都。「祇園祭」そしてわたしの妹の「バレエの発表会」、そして「フレンチレストランでのランチ」である。非日常的なめくるめく世界を堪能した2歳児はおそらくかつてないほどの「祭り」だったんじゃなかろうか。
祇園祭やフレンチはともかく、バレエってなにさ。
バレエと言っても妹の所属する「宮脇翠舞踊研究所」は京のモダンバレエ界のパイオニア。クラッシックバレエから派生した、トゥーシューズをはかない新しいステップと創造性を取り入れたバレエである。故・宮脇翠先生は故・石井漠先生(大正時代にヨーロッパやアメリカでモダンダンスの研究を経て日本で広めた先駆者)を師に持ち、独自の創作作品を数々残した京都市芸術功労賞の初代受賞者(昭和50年)。「モダンダンス」や「現代舞踊」などと呼ばれているけれど、その歴史はじわりと古典化し、今回の演目にもあった「希望」「コンチェルト」といったラインナップはもはや文化財。宮脇翠振付バージョンの「ボレロ」や「ラプソディ・イン・ブルー」などもその域に達している。などと”勝手に”思っている。
そんな独特の世界で妹は3歳から紆余曲折を経ながらもかれこれ20数年間、踊り続けている。まったく別の仕事を持ちながら、踊りの創作もしている。それを2歳児は親子ルームという防音室から見ていたのだ。固まりながら、しかししっかりと。そして最後には拍手を。帰りの車の中ではついに手をヒラヒラさせて踊っていた。
そして何を隠そう、このわたしも、このめくるめくモダンバレエワールドで約15年間ステップを刻んでいたというのだから、驚きだ。ラプソディ・イン・ブルーも、そしてボレロも。
話は少し逸れるが、ボレロといえば、モーリス・ベジャールの振付作品が世界的には有名になっている。それがこの秋、100年に1人の逸材と言われるバレエダンサーのシルビィ・ギエムによって復活する。妹はしっかりとチケット2枚を確保し、「アネさん、行こうではないか。」とお誘いの声。病床の淵でチケットゲットなどあきらめていたわたしは、瞬時に飛び上がっていた。祭り再び。舞い上がっているわたしたちを横に一緒に喜ぶ息子だった。
台風のように去っていった、大騒ぎデイズ。
ぽっかり放り出されたら、誰でも泣きたく、なるよね。
園ではあの手この手でなだめて頂き、結局はダンススタジオ(鏡ばりのが地下にできた!)へ踊りに連れられるとともにピタっと落ち着いたとのことだった。