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Taipei , Taiwan / JANUARY 2013
Taipei , Taiwan / JANUARY 2013
そうしながらも、じょじょにスキップし始めてしまうのがまたわたし。
いまを何とかぶつかりながら生きています。だいぶ、ぶつかりながら。
そうして久しぶりにあの方のところへ。
“まあるい”膝あてを付けてもらいにみしんの子さんのお家へ。
チクチクチクチクと縫ってくれるその姿と、まんまるとしてきたそのお腹を眺めていたら、なんだか懐かしい気持ちとほっこりした気持ちになって、あくびが出た。
穴が開けば、閉じればいい。
付けたり貼ったりして、また新しい姿になればいい。
直せばまた、生き返る。
Taipei 101 , Taiwan / JANUARY 2013
ほっとしたのも束の間。毎年恒例になってきている姉妹(+夫)元旦映画鑑賞へ。
今年は何にしようかと、考えに考えて一番重そうな『レ・ミゼラブル』になった。渋り渋り恐る恐る新京極のMOVIX京都へと参る。こどもはもちろん預けて。
で、どうだったか。
3時間の映画で、2時間泣いてました。
念のためにとハンカチではなく首に巻けるくらいのスポーツタオルを持参していたのが、我ながら大正解だった。全編オールミュージカルなので、オールソング。言葉(セリフ)の間とか、意味とか、余計なことに意識をやらなくていいので、オールダイレクトアタック。脚本、撮影、美術、衣装、役者、音楽、演奏、歌。余白なしのオール山場。びっくりした。びっくりした度数でいうと、ビョークの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)をついに上回った。1998年に見たジャン・バルジャン=鹿賀丈史の舞台版(大阪・飛天)ではほとんど意味が分からなかったのに、全部来た!年取ったというのもあるだろうけど。とにかく、びっくりした。誰かが歌う度にこみ上げて来るから、嗚咽しそうになり、タオルを噛み締めていた。夫も妹もだだ漏れしていた。逆に途中、出て行く人もあった。それもすごく分かる。わたしは途中もう完全に座席に立ち上がり、一緒にフランス国旗振っていた(感じ)。子育てでしんどいとか、仕事でしんどいとか、ぐちゃぐちゃ言ってる場合じゃないよ、ジャン・バルジャンを思い出せと。奮い立っていたのだった。
実家に帰って、父や母に映画の事を話すとまた泣けてきて、そうしていると、テレビにはウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートが。先日 撮影させて頂いたチェリストのヘーデンボルク・直樹さんが登場されていた。再び大興奮。なんか、もう、すごいよ元旦!
よい音楽、よい映像に、2013年もたくさん出会える予感。
いやもうすでに充分だけど。
明日から台湾、帰国後はすぐに東京へ。
大丈夫かな、わたし。いってきます。
おかげさまでこの1年は無事に、健康に過ごすことができた。元気でいれるだけでこんなにも有り難いなんて。咳なし、熱なし、倦怠感なし。あの底の 日々から丸2年。ようやく身体の芯が戻ってきた2012年。まだどこかでやっぱり不安を感じることもあるけれど、全部ひとまとめに生きていきたい。
今年の大きな変化はそれだけではない。息子が外で抱っこを言わなくなったこと。3歳になって、ちょうど体重も米3袋強くらいになった頃だろうか。 こちらは重いは、自分も居心地そんなによくないわと分かってきたのだろう。それまで本当に何が怖いんだろうと思うくらいに地上に降りなかった。で も、それでOKと思っていた。90cmやそのあたりから見る風景なんて、奇妙で怖いに決まっているし、いつか降りるだろうと思っていた。それがほんとに丸3年で着地。3年もとお思いかもしれないけれど、我らは幸せだった。着地までの日々を、空中移動を、みんな支えてくれてありがとう。
写真はますます楽しくなってきた。17歳から変わらずフィルムカメラを触り、仕事にまでなっていること。17年経っても、ドキドキするし、分からないし、難しい。今日だって、ほんとはクリスマスの写真を大きくアップしたかった。だけど、どれもしっくりこなかった。悔しい。フィルムで撮って、プリントして、データ化して、編集して、言葉をつけて、そしてようやくアップできる。この時間が、このブログがきっとますます写真を楽しくさせてくれている。
2012年もたくさんおつき合い頂きありがとうございました。
2013年も毎日を丁寧にサヨウナラしていきたいと思います。
Home , Osaka / DECEMBER 2012
起きてこないかな。ラッピング間に合わなかったな。布かけておこうかな。赤い靴下拝借しておこう。こどもに手紙でも書いて入れてやろう。手紙は ローマ字で雰囲気出してやろう。そうだそうだ、カーテン少し開けておこう。ここから入って、ここから出た。よし、OK。
こどもは、寝る前に手紙を書いていた。(すべて母代筆)
〜サンタさんへ
(絵)サンタさんのぼうし
(絵)靴下
(絵)靴
(絵)先生の靴
(絵)しまじろうの靴
あいちゃんの「あ」
よっちゃんの「よ」
京都のばあちゃんの「ま」
奈良のばあちゃんの「か」
ピーパの「み」
(絵)おやま
支離滅裂なようで、緩やかに何かひとつ繋がっているような3歳の手紙。
森のクリスマス会以降、ほんとにサンタがいる気がしてきたわたし。
いけるとこまで、サンタを信じさせてやりたい。というか、一緒に信じたい。
あの日。小3の12月。
近所の女子Aちゃんに「家にいいものあるから見にきていいよ。」と誘いを受けた。放課後Aちゃんと一緒に家に着くと、Aちゃんはいきなり押し入れに登り、天袋の奥の方からごそごそと何かを取り出した。「ほら、これ、サンタのプレゼント。お母さん、ここに隠してるねん。」とAちゃんが大きな包みを高らかに掲げて言った。「え!?」と絶句のわたし。「え?って、あいちゃん、まだサンタ信じてんの?」と笑うAちゃん。「え!?あ、お、か!?え。 あ、、、用事あるし帰るわ。」と一目散にその家を出た。外はまだ明るい、寒さも穏やかな夕刻。あの女子。Aのことがその瞬間から大嫌いになった。サンタはわたしには読めない”ローマ字”の”手紙”を書いてくれたのよ。あれは本当なのよ!何よ!A!Aのアホ!
振り返れば、サンタを信じさせてくれていたそんな”サンタ父”と”サンタ母”と、これでお別れになるという事が決まったことに、怒っていたのだろう。うっすら気づき始めていた時だったから、なおさらセンチメンタルになっていた。いるよね!って言ってほしかった。Aも悪気はなく、なぞなぞの答えを見つけたように「すごいでしょ!わたし!」と言いたかったのだ。ただそこに、Aの中に、センチメンタルがなかった。そこがわたしと違ったんだ。
午前0時。新米サンタは小3まで引き返したりして大忙し。
こどもの事より、Aのことが気になってきた。
Aちゃん、どうしてるかなぁ。クリスマス、おめでとう。
Home , Osaka / DECEMBER 2012
最初はneccoさんところのねぇねちゃん。6歳の女の子から。柔らかい羊毛でできたクリスマスリース、そして息子の似顔絵2枚、折りたたみ式のお手紙は弟のもっちゃんから。そしてここには(食べてしまって)写ってない姉弟で作ってくれたクッキー。星とライオン。彼女はこの時間が来ることを今か今かと待ってくれていた。それは最初、プレゼントをもらえるからなんだと思っていたら、ちょっと違った。彼女はもらえること以上に贈ることを待っていたのだった。まだ幼稚園児さんなのに、その想いを出したりひっこめたりしていた姿がとても愛しくてたまらなかった。
2番目は、いつも都会の風を感じさせてくれるシャネルのあやちゃん。赤い靴下の中に、空を見上げるキリンのスノードーム。そしてトラの絵のスタン プ。そして大人用にセレクトしてくれた合わせ茶。小さいけれど小技の効いた何とも絶妙な組み合わせ。雪を降らせては落ちて行く、その様子をじっと見つめる我ら。あたたかすぎて泣けてくる。
3番目はわたし。パンツのゴムのわたし。恥ずかしくて嬉しくて、なんだか焦って床に並べてしまった。ひとりひとりの名前を読んであげたかったのに。ちゃんと目を見て渡したかったのに。6歳のねぇねちゃんみたいになりたかったのに。恥ずかしくて嬉しくて、いっぱいいっぱいだった。
4番目は、海の風。いつものご近所みしんの子さん。頑張り屋さんで負けず嫌いで、朝は誰よりも早く起きて、すでに出る準備をして玄関に立っている。そんな彼女。まさかの力作。ステンドグラスが登場。こども用に首からかけられる3色のもの。それを入れておく黒い巾着袋。大人用に2色のものまで。いつどこでどうやって仕込んでくれていたのだろうか。さらには手づくりのシュトレーン。美味しくてこちらも撮影には全く間に合わなかった。飛び出す折りたたみろうそくは、3歳の娘ちゃんからの力作。炎の明かりに照らされて、ブルーのガラスからはこの夏のあの海が、見えてきた。
5番目は、森の風。主のneccoさん。まだ実は出会ってそんなに長くはないけれど、10年前からこの森を知っていたような気持ちにさせてくれるほんの少し年上の彼女。洋のおもてなしの中に時折、和のおもてなしがミックス。そのバランス感覚にいつも染み入らせてもらっている。そんな彼女からは、布で編み込んだ縄跳び。ゆっくりペースの息子はまだ飛べていないけれど、じっと見つめていたのは持ち手のところにつけてくれた絵とぼんぼり。果実のなった木と、青い馬。大人用には小さな杉の枝と小さな飾り、その花瓶の下に敷く黄色い織り物。ツリーのなかった我が家に、物語を感じる特別なクリスマス空間が、ここに完成した。
一夜明け。飾りながら、写真を撮りながら、背後からは「わぁ、すごいなぁ。」と嬉しそうな息子の声。ちょうど食卓の自分の席の目の前だからか、ひとつひとつをまたゆっくりと確かめていたのだった。